くだんびより

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遊就館 特別展「いななき」第二回:その絵馬、もとは本物の馬でした ─ 神さまと馬の物語

小林清親が描いた「九段馬かけ」

第一回では、戦地へ送られた軍馬ぐんばと、その馬にまつわる靖國神社の御祭神ごさいじんのお話をご紹介しました。今回は少し時間をさかのぼって、「神さまと馬」の話をしてみたいと思います。

第一回をまだお読みでない方は、第一回「馬を通して、近代日本の歴史を学ぶ」もあわせてどうぞ。

神社の絵馬は、もともと本物の馬だった

神社でよく見かける絵馬えま。願いごとを書いてかける、木の板です。あの絵馬がもともと本物の馬だったって、ご存じでしたか。

日本では古くから、馬は「神さまの乗り物」と信じられてきたそうです。神社に生きた馬を奉納して、神馬しんめと呼んで、大切にお世話をしていました。でも、馬をずっと飼うのは大変です。そこで、馬の絵を描いた板を代わりに奉納するようになった——それが、絵馬のはじまりなのだといいます。

夜道で交換した馬が、翌朝、埴輪になっていた

奈良時代に編まれた、国の正式な歴史書(正史)である『日本書紀』にも、馬は出てくるそうです。そしてそのエピソードは少し不思議なお話だそうで。

古墳の上には、おまつりのために埴輪はにわが並べられていたそうです。千年以上も前の人が、馬と埴輪でこんな物語を語っていたなんて、面白いなと思いました。

九段でも、馬が走っていた

靖國神社と馬のつながりは、じつは境内けいだいのすぐそこにもありました。

靖國神社ができたばかりのころ、いまの大村益次郎おおむら ますじろう銅像のあたりには馬場があって、大きなおまつりのたびに競馬が開かれていたそうです。明治のはじめ、まだ日本に洋式の競馬が入ってきたばかりの頃。日本人の手による洋式の競馬としては、ここ招魂社しょうこんしゃ(いまの靖國神社)で行われたものが、いちばん早い時期のひとつだそうです。

その様子は、明治の錦絵にも残されています。そのひとつが、小林清親こばやし きよちかという絵師が描いた「九段馬かけ」。明治4年の例大祭で行われた競馬の様子が描かれていて、奥には鳥居とりいも見えます。いまの境内を知っていると「このあたりかな」と想像がふくらむ一枚でした。

小林清親が描いた「九段馬かけ」(明治10年)
小林清親が描いた「九段馬かけ」(明治10年)

明治天皇ゆかりのクジラのヒゲの鞭

明治天皇は、ことのほか馬がお好きだったそうです。それも西洋式より、古くからの日本の馬術に親しまれていたといいます。昭和天皇もまた、馬がお好きで、昭和27年の時点で、馬に乗られた回数は約2万回にも及んでいたそうです。

展示には、明治天皇ゆかりの鞭むちも飾られています。この鞭、なんとクジラのヒゲでできているそうです。クジラのヒゲというのは、歯のかわりに口の中にずらりと並んでいる、ブラシのような板のこと。よくしなるので、昔から日本では、文楽の人形を動かすバネなどにも使われてきたといいます。

言われないと気づかない、でも知ると誰かに話したくなるようなエピソードでした。

軍馬の向こうにあった、長い時間

日本書紀の時代のエピソードから、明治の九段の競馬まで。第一回で見た「軍馬ぐんば」よりも、さらに遠い昔からの馬と日本人のつながりが見えました。

第三回は、この展示そのものを「つくった人たち」の話をしたいと思います。時がたち、色あせた馬具を、どうやってよみがえらせたのか。ガラスの向こうの展示品に、どれだけの手がかかっているのか。その裏側をのぞいてみます。

午年の今だから

今年は午年。神さまと馬の長いつながりを、ぜひ遊就館ゆうしゅうかんで確かめてみてください。

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