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一通の手紙から:では行て参ります。心はすみ切つて、秋の空の様です

神野勇命のお手紙(十月社頭掲示)

――連載「一通の手紙から」

靖國神社では、かみさまとしてお祀りしている御祭神が生前に記されたお手紙を、毎月境内に掲示しています。この連載では、その一通一通を読みやすい形でご紹介いたします。

神野伍長が北支派遣軍に参加して半年後、前線への出発を前に父に宛てた手紙です。

封筒には、ご自身の写真が一葉、同封されていました。その写真について、「可愛いゝ息子の寫眞ですから大切にしまつて置いて下さい。あんまり可愛いゝ様な面でもありませんが。」との努めて明るく振舞うような言葉のあとに、間もなく生還を期すことはない前線に出発する様子がしたためられています。

便箋の余白から

一通の手紙から:では行て参ります。心はすみ切つて、秋の空の様です

母からの便りで、父の変わりないことを知った神野伍長。同封した自身の写真については、「可愛いゝ息子の寫眞ですから大切にしまつて置いて下さい。」と記し、写真の中で手にしている軍刀も「只し持つた刀は勿論借り物ですから其の点悪しからず。」との言葉からは、遠く離れていても、家族に心配をかけまいとする筆づかいが感じられます。

筆はやがて間近に迫った前線へと移ります。「生還は期して居りません」「御世話に成りつぱなしですが御許し下さい。」──家族の健康を神仏に祈り、自らが「立派な働」ができるように見ていてほしいと願う言葉が続きます。

御祭神 神野勇命について

愛媛県西宇和郡三崎村の出身。

子供のころは、体格に恵まれた「ガキ大将」。しかし、思いやりがあって仲間たちを引っ張っていくような性格であったといいます。「気は優しくて力持ちの人」。ご遺族はお人柄についてそう語って下さいました。

昭和11(1936)年に現役入営され、翌昭和12(1937)年7月からは歩兵第八〇連隊補充隊の砲手として、北支事変の軍務に従事されました。その後、昭和14(1939)年8月に新設された歩兵砲隊に配属され、戦地へ赴かれました。

昭和15(1940)年4月23日、中華民国・山西省石岩嶺。標高1,200メートルほどの山地で、神野伍長は前日の夕方から敵と交戦していました。午後8時ごろ、前後左右に弾丸が飛び交うなか、迫撃砲弾が砲の右車輪と防楯の間を貫通して炸裂し、その破片が右頭頂部と右胸部に命中して、神野伍長は戦死されました。享年25。

銃撃の収まった25日、部隊はご遺体を後方の谷間で荼毘に付し、太行山脈に墓標を建てて告別式を行いました。

神野勇命
神野勇命
お手紙の実物。薄い罫の便箋三枚に、鉛筆で記されています
お手紙の実物。薄い罫の便箋三枚に、鉛筆で記されています

お手紙の全文(現代語表記)

このお手紙の実物は、10月中、遊就館ゆうしゅうかんでご覧いただけます。

用語の説明

  • 御無音…長いあいだ便りをしないでいること
  • 現役入営…徴兵検査に合格した人が、定められた年に部隊へ入って兵役に就くこと
  • 伍長…陸軍の下士官のうち、いちばん下の階級
  • 北支…当時の呼称。中国北部の地域を指します
  • 北支事変…昭和12(1937)年7月に北京郊外で始まった日中の武力衝突
  • 補充隊…前線の部隊へ送る兵を、内地で集めて訓練しておく部隊
  • 歩兵砲…歩兵部隊が自分たちで運んで撃つ小型の火砲。またそれを扱う部隊が歩兵砲隊
  • 防楯…砲を撃つ兵を弾から守るため、砲の前面に取り付けた鉄の板
  • 石岩嶺…中華民国・山西省の地名。太行山脈のなかにあります
  • 太行山脈…中国北部、山西省と河北省の境に南北に連なる山脈
  • 荼毘に付す…火葬すること

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