昭和20年6月20日、朝鮮・木浦に到着したばかりの18歳の西川幸雄命は内地の家族へ一通のお手紙をしたためました。
父親が療養中だったこともあり、日頃から「長男の自分が父の代わりに出征せねば」との思いがありました。内地の両親と祖母を気遣い、弟妹を励ます言葉から家族を守ろうとする思いが伝わってきます。
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――連載「一通の手紙から」
靖國神社では、かみさまとしてお祀りしている御祭神が生前に記されたお手紙を、毎月境内に掲示しています。この連載では、その一通一通を読みやすい形でご紹介いたします。
昭和20年6月20日、朝鮮・木浦に到着したばかりの18歳の西川幸雄命は内地の家族へ一通のお手紙をしたためました。
父親が療養中だったこともあり、日頃から「長男の自分が父の代わりに出征せねば」との思いがありました。内地の両親と祖母を気遣い、弟妹を励ます言葉から家族を守ろうとする思いが伝わってきます。
このお手紙には、家族が一人ずつ出てきます。
お父さんには体の調子を尋ね、無理をしないでほしいと書く。お母さんとお祖母さんには、陸は暑くて過ごしにくいでしょうと気遣う。弟の正己君には学校のことを聞き、しっかり頑張るようにと言う。克ちゃんには、相変わらず強情を張って正己兄ちゃんと喧嘩ばかりしていないかと聞く。京ちゃんには、家の手伝いをしているでしょうね、決して口答えなどするんじゃありませんよ、と書く。
18歳の西川幸雄命は、遠く離れた地にいながら、家じゅうを一人ずつ見回しています。父上が療養中であり、長男の自分がしっかりせねばという思いが伝わってきます。
京都府京都市上京区の出身。海軍軍属(船員)として、東亜海運が所有する徴用船「慶城丸」に乗り組んでいました。
出航が決まると、疎開していた両親に代わり、叔父さまと知人に見送られて18歳で出征しました。
このお手紙がしたためられた一週間後、慶城丸は朝鮮南岸・魚龍島灯台西方56キロ沖で敵の空爆に遭い、交戦しましたが、昭和20(1945)年6月27日午後3時30分、乗組員とともに沈没しました。
西川幸雄命の戦死から50日、大東亜戦争は終結しました。
やがて戦後復員が始まり、ラジオで引揚者名簿が読み上げられるようになると、毎日身動ぎもせずに聴き入る母上の姿がありました。最愛の息子が出征の際に、別れの挨拶も見送りもできなかった——。そのことを両親は後々まで悲しんだといいます。
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